「瞑想」と言う言葉

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「瞑想」と言う言葉について考えてみたいと思います。

 

「瞑想」は、日本でも最近よく知られるようになってきました。これは大変喜ばしいことですが、その単語の意味するところについて、様々な誤解もあるようです。

 

近年の「瞑想」に対する認知は仏教瞑想に由来すると言うことは“マインドフルネス”の記事で述べましたが、じつは「瞑想」という単語は仏典の中には出てきません。

 

「マインドフルネス」のほぼ直訳的語源になっている「スムリティ/サティ」は「気づき」と言う意味ですし、「ヴィパシュヤーナ/ヴィパッサナー」は「正しい見解」と言う程度の意味で「ヴィパッサナー瞑想」と言う場合には「ヴィパッサナー・バーバナー」となって「正しい見解を行うこと」と言うような意味となります。

 

「瞑想」というニュアンスの言葉は出てきません。

 

そもそも「瞑想」と書くと「瞑」=「目を閉じる」と言う意味ですから「瞑想」は「目を閉じて何かを想うこと」であって、大体のイメージはあっているように思いますが、しかし「瞑想」の中には目をあけて行うものもあります。
よく似た言葉に「黙想」と言うものもありますが、これは「沈黙して何かを想う」と言う意味になって、やはり言葉を発しながら行う「瞑想」もあるわけですから、必ずしも相応しくありません。

 

現在我々が普通に使っている「瞑想」と言う言葉はおそらく、仏教の伝統ある個別の概念ではなく、英語の「メディテーション」からの訳語ではないかと考えられます。

 

「メディテーション(meditation)」は、ラテン語の「Med」という語根に由来する言葉で、元来「癒やす」「治癒する」と言う意味です。
同じ語根に由来するものとして「医療(medical)」「薬(medicine)」等があります。
「~tation」というのは名詞化の機能ですので、メディテーション(meditation)は「癒やすこと」「治癒すること」「治療」等という意味と取ることが出来ます。

 

我々が伝える「瞑想」は仏教由来のものですが、一旦「仏教」と言う限定を離れて、このような「癒やし」「治癒」という機能を持った「瞑想」に着目するのは瞑想が持つ無限の可能性を発揮する上で有効かも知れません。そして「科学」がその有効性を証明しつつあります。

 

21世紀は「瞑想」が「医療」にさらなる飛躍をもたらす時代なのかも知れません。